廃線・廃道跡探索

■福塩線旧線跡(河佐〜備後三川)
福山〜塩町間を結ぶ福塩線の河佐〜備後三川間には、かつて八田原という駅が存在した。
この駅は1963年、地元住民の強い要望により梶田駅・中畑駅とともに開業し、以来八田原に住む人々の足としての役割を担ってきた。
しかし1989年に八田原ダム建設が始まると、同駅を含む8.9kmの区間は廃止され、ダムの完成とともに湖底に沈むこととなった。

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新線との分岐点。旧線跡は写真右の橋梁手前で分かれ、芦田川に沿って左にカーブしている。(A地点)


分岐点より先の路盤は枕木を敷き詰められ、「せせらぎの小路」という名の遊歩道に転用されている。(B地点)


(C地点)


遊歩道の脇には当時のリレーボックスが残っている。(D地点)


しばらく進むと、この遊歩道のハイライトとも言える第八芦田川橋梁に差し掛かる。(E地点)


ローカル線にありがちな、簡素な形状のコンクリート橋となっている。欄干は廃止後に取り付けられたものだ。 (F地点)


欄干には現役当時の写真が飾られている。(F地点)


橋梁を渡った旧線跡はパークゴルフ場に転用されている。(G地点)


パークゴルフ場を過ぎるとレールが敷かれた旧線跡が姿を現す。(H地点)


第九芦田川橋梁を渡る旧線跡。レールは廃止後に改めて設置されたものらしい。(H地点)


(I地点)


第九芦田川橋梁の先には踏切が残っている。(I地点)


踏切の先には延長309.5mの苦谷山隧道が口を空けている。この隧道は反対側が水没しているため、内部で閉塞している。(J地点)


ダム上流の備後三川駅に程近いところに残る小谷隧道。こちらは備後三川側の開口部である。(K地点)


列車が通ることのなくなった今も「小谷」のプレートが残る。(K地点)


隧道内部はバラストが残され、枕木の跡も残っている。また、いくつか退避所も確認できた。(K地点)


わずか延長185mの隧道はすぐに出口を迎える。出口周辺には枕木やケーブル類が散乱していた。(L地点)


八田原側の開口部は備後三川側に比べて坑門が大きく作られている。(L地点)


トンネル入り口から八田原方面を望む。(L地点)


トンネルの先の芦田川の川底に橋脚跡がうっすらと残っている。(M地点)


対岸の道路の一段下には旧線の路盤が残る。(N地点)


ダムの貯水率が下がると、工事用道路とともに旧線の築堤が姿を現す。(O地点)


築堤の先には橋台が残る。(O地点)


橋脚跡はわずかに残るのみだ。(O地点)


反対側の橋台は大きく崩壊している。(O地点)


その先の旧線跡は左にカーブしながら湖底へと沈んでいく。(O地点)

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